NBAの夢をかなえた八村塁選手。
夢の実現のためには、八村選手のご両親の協力と深い愛情があったに違いありません。
夢がかなった時には、ご両親への感謝の気持ちを表しています。
では、八村選手の両親はどんな方なのでしょうか?
国籍、出会いのきっかけなどをご紹介します。
八村塁選手のご両親の国籍はアフリカ(ベナン)と日本
八村塁選手は、ベナン人の父と日本人との母の間で生まれたハーフです。
幼いころ八村選手は、他の子とは違う自分の肌の色や体の大きさ、身体能力を恥ずかしく思い、コンプレックスと感じていました。
しかし、成長を重ね大人になっていく過程で、ベナン人と日本人のハーフという、世界中でも数が少ない特別な自分という存在に誇りを持つようになります。
その誇りとは、単に大人になったことによる精神的な成長によるものではなく、バスケットボールに対するリスペクトと努力から得られた自信から芽生えたものものです。
大きくなって育っていくうちに
それ(ベナンと日本のハーフ)がどれだけユニークかというのも自覚して
それがどれだけよ良いことかというのもわかってきて
自分が好きになった
八村塁のことば
八村選手がNBA選手になれたのも、他に類を見ないユニークなハーフであるからなのかもしれません。
八村塁のご両親とは?父親のニックネームはトーマス!画像も!
八村塁選手の父親の名前は、『ザカリ・ジャビル』さん、ニックネームはトーマスです。
名前からしてニックネームがなぜトーマスなのか疑問ですが、富山県にある八村塁選手行きつけのレコード店店主は、父のザカリさんをトーマスと呼んでいたようです。
このレコード店には、八村塁選手の幼いころのエピソードが残っています。
ある日突然トーマスが”子供できたんだ”と抱っこしながら(塁君が)表れて・・・
(塁君は)あまりしゃべるほうではなかったけどいつも笑顔でしたね
”かわいいね 髪の毛クルクルだね”
とかってみんなニコニコしてました
父親ザカリさんが子供(八村選手)のかわいさから、他の人に見せたいという気持ちが伝わってきます。
塁君の笑顔の裏には、幼いながらにもいろんな悩み(肌の色など)をかかえていたのだと思われます。
話は戻って父のザカリさんの国籍はアフリカのベナン共和国です。
ベナン出身で有名なタレントがいます。
それは、ゾマホン・ルフィンさんです。
『ここがヘンだよ日本人』という番組で、独特の口調と、議論が白熱する際の何かに取りつかれた様子が話題となり瞬く間に間にお茶の間の人気ものとなりました。
日本での功績が認められて、ゾマホン駐日大使を務めておりました。(2011-2016)
八村選手の父、ザカリさんは、そんなゾマホンさんよりも先に日本に来ています。
ザカリさんは3番目に日本にやってきたベナン人です。(ゾマホンさんは4番目)
日本にやってきたその数からしても、ベナン人の血を引く八村塁選手はユニークな存在であることがわかります。
↑こちらが父のザガリさんです。
当たり前ですが、やはり親子です。八村選手は特に父親の血を色濃く受けているのではないでしょうか。
唇はそっくりです。
日本にやってくるベナン人は、勉強熱心で頭の良い方ばかりです。
ゾマホンさんは、国費で中国に留学し、そのきっかけで日本にやってきました。
八村選手の父 ザカリ さんもまた勉強熱心で学業優秀なことから、エジプトのカイロ大学に留学しております。
語学堪能で、日本語をはじめとする計7か国語を話せるとのことです。
父親ザカリさんもバスケットボール経験者
八村選手の父親のザカリさんも元バスケットボール選手だったようです。
八村選手がバスケットボールを始めたきっかけは、父親からの影響と思いきや、そうではないようです。
ザカリさんも八村選手の体格の良さ、運動能力の高さから何かのスポーツはやらせいと思っていたようです。
そこで八村選手が小学生時代に選んだのは、野球と陸上でした。
八村選手がバスケットボールを始めたのは中学生になってからです。
それも強引に勧誘され、折れる形で・・・
父親ザカリさんは日本で居酒屋をやっていた!?
日本が大好きなことから、日本で生活することを決めたザカリさん。
来日後は北陸新幹線の仕事や富山県内で居酒屋を営んでいたこともあるようです。(今は閉店されている噂も)
大の日本好きのザガリさんですから、日本料理も大好きだと思われます。
勉強熱心なザガリさんのことですから日本料理をの作り方を必死に勉強されたのではないでしょうか。
日本代表のアイラ・ブラウン選手が、bjリーグ富山グラウジーズに所属していた頃は、この居酒屋によく足を運んでいた、常連客さんだったようです。
元バスケットボール選手のザガリさんとは話があったのかもしれません。
八村塁選手とは、15歳の年の差があるアイラ・ブラウン選手。
富山グラウジーズに所属していた時期は、八村選手が中学に入学しバスケを始めようとしていた頃です。
アイラ・ブラウン選手からバスケットシューズをプレゼントしてもらったそうです。
アイラ・ブラウン選手は、八村選手が留学したゴンザガ大学の先輩でもあります。
そしてともに日本代表選手。
この二人につながりは、父親の居酒屋がとりもった関係なのかもしれません。
八村塁のご両親とは?母親も語学堪能!画像も!遠くから我が子を見守る姿が・・
八村塁選手の母親の名前は『八村麻紀子』さんです。
父親のザカリさん同様に語学が堪能で、英会話スクールの講師や小学校の外国語講師をされていたようです。
ご両親とも語学堪能とは、すごい家庭ですね。
↑母親の八村麻紀子さんが映ている画像
2:16と3:02あたりに八村麻紀子さんが映ります。
子供(八村塁選手)のジュリアス・アービング賞の受賞を控えめに喜ぶ姿があります。
ジュリアス・アービング賞
ジュリアス・アービングはNBAの伝説的な選手です。
ドクターJとよばれ、マイケルジョーダンもあこがれた選手といったレジェンドです。ジュリアス・アービング賞は彼のポジションにちなんだ賞で、
アメリカ大学バスケの年間最優秀SF賞です!引用元:dunkmanblog.com
日本のプロ野球で例えるなら、その年の最もすぐれたピッチャーに贈られる”沢村賞”ということになるでしょうか。
アメリカの大学の今年もっともすぐれたスモールフォワードに与えられる賞を受賞した八村塁選手ということになります。
過去にこの賞を受賞された選手は、NBAで必ず活躍すると言われています。
ルーキーながらすでにNBAで活躍されている八村選手がそれを実証しています。
子供(八村塁選手)のジュリアス・アービング賞の受賞を控えめに喜んでいる麻紀子の姿がありましたが、その心のうちは非常に喜んでいるに違いありません。
八村選手選手がまだ幼いころ、こんなエピソードがあります。
八村選手がほかの人との違い(肌の色など)により、よその子にからかわれるのを知っていた麻紀子さん。
そんなわが子を守たるため、仕事が忙しい中にあっても 県営住宅の草むしりや清掃などの共同作業には必ず参加していたようです。
麻紀子さんは近所づきあいをしっかりすることで、八村選手が嫌がることをされていた時には、近所の方に助けてもらおうとする気持ちが働いていたのだと思われます。
控えめでありながら、八村選手を遠くからしっかりと見守っている母親の麻紀子さんの姿があります。
八村塁の両親の出会いのきっかけとは?
八村選手のご両親の出会いのきっかけについて調べましたが、詳細は分かりませんでした。
考察としては
父親ザカリさんの祖国ベナン共和国がフランスの植民地だったことにより公用語がフランスであり、母親の麻紀子さんはフランス語もしゃべれるという共通点から出会いがあったのではないかと考えられます。
ザカリさんが来日した時に働いていた職場(北陸新幹線の仕事関係?)のフランス語の通訳として母親の麻紀子さんが呼ばれた。
大の日本びいきのザガリさんが日本語を学ぶための講師が麻紀子さんだった。
など
いずれにしても、言葉が通じなければお互いの愛を育むことはできません。
お互い共通に知っていた言語が出会いのきかっけとなったのではないでしょうか。
まとめ
ご両親の協力と深い愛情で夢をつかんだ八村選手。
今度は、この両親への感謝の気持ちをNBAという大舞台で恩返ししていくことでしょう。