テレ朝の玉川徹の経歴とは?
京都大学院農学研究科修士課程修了して卒業後は、1988年にテレビ朝日に入社されました。
テレ朝入社後は、報道系の番組ディレクターを務め、現在のコメンテーターとして活躍する礎を築いていかれました。
玉川徹の経歴がすごい!ディレクターを務めた報道系番組
玉川徹氏がディレクターを務めた報道系番組がどれもすごい番組となっており、この成功がテレ朝社員でありながら、現在のコメンテーターの地位にあるといっても過言ではありません。
サンデープロジェクト(サンプロ)
1989年4月2日から2010年3月28日まで、毎週日曜10時から11時45分まで生放送でお送りした報道・政治討論番組。
「朝まで生テレビ!」の成功を受けて、1週間のニュースを振り返る形式の先行番組「サンデーモーニング」(TBS系列)よりテーマを絞る形で企画された番組です。
放送開始時の視聴率は5.5%だったがその後上昇していき「日曜討論」(NHK)を上回る視聴率となっていきました。
討論の進行は、田原総一朗。
政治家を挑発して追及する田原氏の進行スタイルで、各党党首・幹事長クラスの発言は、ニュース・新聞記事で取り上げられるなど、マスコミに与える影響は大きく、「サンプロ現象」なる流行語が生れるほどの番組でした。
ザ・スクープ
1989年から2002年9月までレギュラー放送された報道ドキュメンタリー番組。
当初は、鳥越俊太郎・畑恵をメインキャスターに「鳥越&畑ザ・スクープ」というタイトルで土曜日の18時から55分間で放送されました。
1990年10月に「ザ・スクープ」とタイトル変更。
田丸美寿々をメインキャスターにストレートニュース部分を「530ステーション」として分離させ、特集に特化した番組スタイルは5年半続きます。
その後、メインキャスター、番組名、時間帯などが変更されます。
2001年10月に「ザ・スクープ」にタイトルが戻され、土曜日の午前帯に移動し、2002年9月28日まで放送されました。
スーパーモーニング
1993年4月5日から2011年4月1日まで放送された平日朝のワイドショー・情報番組。
初期は芸能ニュースは全く取り上げられずに、国会議員や政党役員による討論会というお堅めの番組内容でした。
その後、リポーター取材による事件や芸能ニュース中心の番組内容となっていきます。
曜日ごとにあった企画コーナーの中でも
「宮尾すすむのああ日本の社長」は人気がありました。
私もこの宮尾さんが社長宅を訪問するコーナーは面白いという記憶が残っており、宮尾さんの大好きなメロンが冷蔵庫の中に必ず入っているというおもてなしが印象的でした。
その後番組名が変更されていきますが現在、玉川氏がコメンテーターを務める「羽鳥慎一モーニングショー」の前身となる番組を担当していたことになります。